【その他】宗教って言われたくなければ門下生に思考力を覚えさせてほしい
※2018/11/16 追記
プロブロガー曰く、ブログはオワコンだそうだ。
ものすごく投げやりな書き始めになってしまったが、プロブロガーのイケダハヤト氏がブログはオワコン宣言をしたことでネット界隈がざわざわしている。
しかしその2日後には、オワコンだけど新しいブログ作る!と息巻いているようだ。
私はブログで生計をたてるつもりは毛頭ないので、彼の言うことを神のようにあがめることもなければ、唾を吐きかけるでもない。
いわば、水槽の中に入っている観察対象程度の存在だ。
とはいえ、イケダハヤト氏はブログ界では非常に大きい存在で、向こうからすれば「このような弱小ブログの著者が『観察対象』だぁ?けっ!おとといきやがれ!」程度なものだろう。
なので、こちらは弱小ブログらしく、彼の『宗教』などと騒がれている文化の気持ち悪さを文章にしてみようと思う。
【目次】
『宗教』と呼ばれるのは不本意らしい
さて、イケダハヤト氏が『尊師』と呼ばれ、その周囲に人が群がる様子を『宗教』と形容するようになったのはいつごろなのだろうか。
少なくとも、ブロガーズギルドやオンラインサロンあたりから、彼と、彼の周囲に集まる人間に嫌悪感を持つ人々がそう名付けたのだと推測している。
そもそも、前提としてイケダハヤト氏は非常に自己プロデュース力が高い。
炎上芸を上手に利用し、自ら意思を持ち、理論を用いて正当化する。
そのさまはまるで、中国古来にいる縦横家である。
彼らは弁舌巧みに政治を操り、入り込んできたが、イケダハヤト氏もまさしく自らの生きやすいように文章や弁論を武器に運命を操ってきたのだろう。
しかし、そんな彼でも『尊師』『宗教』などと揶揄されるのは不服のようだ。
では何故、『尊師』『宗教』などと揶揄されるのだろうか。
というか、イケダハヤト氏は何故そこを考えないのか。
洗脳状態の気持ち悪さ
ぶっちゃけていうなら、この手の状況で一番嫌悪感を示されているのが『トップが発言したことが絶対的に正しいと妄信している状況』にあると考える。
ようするに、
イケダハヤト氏「ブログ、超いいぜ!みんなブログしようぜ!」
門下生「やっぱ、今の時代、ブログだよな!ブログ稼げるらしいし!ウェイ!」
イケダハヤト氏「ブログはオワコン!これからはサロン!YouTube!」
門下生「やっぱ、ブログはオワコン!これからはサロン!YouTube!ウェイ!」
イケダハヤト氏「ブログはオワコンだけど、新しいブログ稼ぐわ!」
門下生「さすがイケダハヤト氏!ウェイ!」
みたいにイケダハヤト氏が右を左と言えば左となり、カラスは白だといえば白になる状況が気持ち悪いというだけなのだ。
別に、イケダハヤト氏の主張じたいは(是非を無視すれば)ただの意見である。私がここで述べている弁舌と同じレベルなのだ。
しかし、それを考えもせず肯定する人間が一定以上いると、正常な思考力を持っている人間からすればそれが洗脳のように感じ、結果として『宗教』と揶揄され、イケダハヤト氏は『尊師』とあだ名されるのではないだろうか。
門下生に『思考力』が無さ過ぎる問題
別に、誰か優れた人がいて、それが群れを成すというのは社会的に間違った構図ではない。
しかし、トップが下に位置するものから思考力を奪い去った瞬間、それは洗脳となり、傍から見れば宗教とみなされるのも仕方がないのだ。
もちろん、イケダハヤト氏がどの責任を持って、門下生に『思考力』や『道徳』を教えなければならないのかと言われると甚だ疑問ではある。
しかし、金銭を授受し、誰かにものを教えている以上、できれば同時にこれらのことも教え込んでほしい所存だ。
それら、『思考力』『道徳』が教え込まれなかった集団は、もはや洗脳されたカルト教団であるといわれても仕方がない。思考力が奪われた集団に、もしイケダハヤト氏が「●●を炎上させろ!」と命令すれば燃え上がる危険をはらんだ状態は、誰しもが心地よいものではないのではないか。
是非、今後はサロンやらなんやらで、Webで生きる上でのマナーや思考力を教えてもらいたいものである。
※2018/11/16 追記
ほらぁ、すぐ「宗教にしたい(キリッ」とか意見かえちゃったじゃ~ん。
三下である私の記載した記事を数日で無価値にするなど、やはりイケダハヤト氏は観察するには面白い。
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