私は雑兵

社内ニートが自律神経と戦っています。

【お題】ウィスキーで祝杯を

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今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

 

敬老の日だったようで、今週のお題は『おじいちゃん・おばあちゃん』である。

 

実をいうと、私は親戚が大の苦手である。
普段、なんのつながりもないのに、重要な時だけ「親戚でしょ!?」などと言われるのは私の肌には合わないからだ。

 

私がうつ病のときも放置してきた親戚と、話を聞いてくれた友人。果たしてどちらが大事かという話である。

 

しかし、そんな私も、二人の祖父については素直に思うところがある。

 

せっかくなので、そのうちの一人、母方の祖父について書こう。

 

【目次】

 

女好きな九州男児

母方は九州の出身である。
全員、揃いもそろって酒が好きなのが特徴だ。

 

そんな母の父、つまりは祖父も九州で生まれた。

 

年の離れた私が見ても『THE ダンディ』という見た目だったのだから、若いころはそれなりにかっこよかったのだろう。

 

元々は九州で電線の配線を行う仕事をしていたが、借金を作り、その場にいられなくなり広島へ逃亡。

 

以降「男であれば起業一択!」と小さい会社を経営するに至った。

 

祖父は、とにかく美人が好きだったようだ。


当時、事務をしていた母に「どうせ同じ能力の女性を雇うなら、美人がいい」と言い放ち、実際に祖父の会社に雇われている女性は大変美人だったという。

 

また水道管を買ってきて、それを切断し、ヤスリをかけては女性に「私が好きなのは貴女だけです」と指輪にして贈っていたというから呆れた。

 

そんな祖父に愛想を尽かし、祖母は実家によく帰省していたそうだ。
なぜ離婚という話にならなかったのか。時代がらとはいえ、理解しがたい話である。

 

釣り好きの祖父

祖父は美女もそうだが釣りも好きであった。

 

好きすぎて海のそばに家を買った。

 

欲しい土地のそばをぶらぶら歩き、地元の人に声をかけては「あそこの土地はだれの土地だ?」と聞いて、持ち主と交渉し買い取っていたようである。

 

自由奔放すぎる。

 

海辺の家を購入した祖父は窓から釣り糸を垂らして釣りをしていたようだ。


しかし、その釣りにもやがて飽き、果ては釣り糸が引っ張られたら家の中に仕掛けた火災報知機が鳴るという仕掛けを作り上げた。

 

もう、なにが楽しくて釣りをやっていたのか。私には理解不能である。

 

そうやって魚を釣っては、祖母に提出し、祖母に料理をしてもらう。


そんな自由を謳歌する人生。羨ましすぎる。

 

祖母と祖父

自由に生きた祖父は、自由と引き換えに祖母を置いてけぼりにした。

 

そして祖母は痴呆になった。

 

当時、祖父は施設には入れないという決断をした。
しかし、息子の嫁が手伝う姿を見「自分ができるのは、妻(祖母)を施設に入れることだ」と思い至ったという。

 

自由のためにおいていった祖母を施設に入れることは、祖母を捨てるような気持ちだったのだろう。


祖父は最後まで考え、やがて娘である私の母に諭されて祖母を施設に入れることが決定した。

 

そして、祖母を施設に入れた翌週。祖父は倒れて入院となった。

 

前日まで筍を掘りに山へ入っていたという。
倒れた当日も自分で電話したそうだ。

 

ベッドに寝かされている祖父は弱々しくウィスキーが飲みたい」と言っていた。

 

この期におよんで酒か、と息子に笑われながら最後は一人で静かに息を引き取った。

 

自由の終わりの音がした。

 

ウィスキーで祝杯を

葬儀を行ったすぐ2ヶ月後、父方の祖父も亡くなった。
おかげでバタバタし、2つの葬式を相反する葬式として見送ることになる。

 

なにも、同時期に死ななくてもよかろう。
そう思うが、天国で二人、祝杯でもあげていればいいとも思う。

 

思えば、自分が小説を書いたり、イラストを書いたり、それを一番に喜んでくれたのは母方の祖父だ。

 

いつか、私もあの人の孫であると誇れるよう、自由に生きようと思う。

 

ちなみに、祖母はよく「あの人(祖父)に会ったのよ」という。

 

母が「何を言っているの。お父さん(祖父)は亡くなったでしょ?」というと、祖母は「いいや、私が心配だと言って施設まで来てくれたのよ」という。

 

もしかしたら、祖母に未練たらたらなのではないか。
死んでからでないと素直に愛情表現ができない不器用さも、また祖父である。