私は雑兵

社内ニートが自律神経と戦っています。

【お題】誰かが作ってくれたものは大抵うまい

今週のお題「最近おいしかったもの」

 

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ここ最近、めっきり寒くなった。

私の住んでいる県は日本列島でも南(西?)の方で、かつ太平洋側のため寒さはあれど厳しくはない。

しかし、この季節に食べる温かい食べ物は、大抵うまい。

 

【目次】

 

食パンと水

うつ病のころ、食べるということに興味関心がなくなった。

なんというか『おいしいものを食べたい』という欲求は人間の三大欲求である食欲と直接結びついていいないようで、心の状態が劣悪になると途端に興味がなくなるものだ。

 

生きるために食べる。動くために食べる。

 

そんな時期もあったなぁ、と思い出すのは千葉の一人暮らし。

部屋に置いてある座卓には食パンと水が置かれている。それを食べて飲み、ただひたすらに眠る。うつ病のころ、おそらく体力も底をついており、『おいしいものを食べる』という当たり前の感覚はどこかへと捨てられてしまった。

もはや、炭水化物と水分を体内に流し込み、エネルギーへと変え、手足を動かし、仕事をするだけの機械に成り果てていたのかもしれない。

 

実家と食卓

休職し、地元に帰って、母親の手料理を食べた。

「我が家の味って何?」と聞かれれば「父親の作ったコロッケ、トン汁、カレー」と答えるほど、母親の味に印象の少ない家庭だが、それでも久しぶりに食べた手料理は美味しかった。

もちろん、父親も上記のメニューを休日に作ってくれた。おいしかった。

 

実をいうと、私は料理が得意ではない。

私が作った料理を誰かに「おいしい」と言って食べてもらったことがないからだ。

だからこそ、自分で作った料理はおいしくなかったし、おざなりでついているTVに向かって独り言を話しながら食べる食卓は虚空そのものであった。

 

TVはついている。しかし、それについて会話する人がいて、目の前には自分のために他人が作ってくれた食事がある。それがどれだけ素敵なことかを思い出し、当時の私はがむしゃらに食べた。

食べたものを、体を纏う脂肪に変えて。

 

誰かと食事

つい先日、私は実家を出て恋人と同棲を始めた。

彼は料理が好きなようで、好きで台所に立っている。

 

仕事が終わって帰る連絡をすると、決まって「今日の献立はハンバーグ」だとか「今日はキムチ鍋」など夕飯の献立を知らせてくれる。

かわいい猫のスタンプを添えて。

 

そういえば、最近は食事が楽しい。

おなかも普通にすくし、おいしいとも感じる。

 

ずいぶんとうつ病が治ってきたのだろう。

そして、それと同時に、『誰かと食べる自分宛ての食事』というのがいかにおいしいのか。これを肌身で感じることが多くなったのだ。

 

私と料理

今週のお題は「最近おいしかったもの」だそうだ。

結論としては『誰かと食べる自分宛ての食事』である。

 

一人むなしく、TVを見ながら食べた食パンと水は、粘土を口に放り込む作業のようなものであった。

しかし、今、食事は一日の大事な時間へと変化している。

 

食事をするために、毎週、道の駅に通って食材を買うことも。

食材を買うついでに、おやつを買うことも。

そのどれもが楽しくて愛おしい時間だ。

 

今度は私が誰かのために食事を作る練習をしなければいけない番だろう。

さて、この秋は、どんなおいしいものが食べられるだろうか。