私は雑兵

社内ニートが自律神経と戦っています。

【その他】自由と暴挙は、また別の話

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美味しいコーヒーが飲みたい。

 

アニメ「おそまつさん」のどこかで「子供のころ思っていた大人は、もっと大人だと思っていた」みたいな台詞があったが、非常に同意する。

自分が思い描いていた27歳は、もっと仕事も余裕でこなせて、後輩に仕事を教えて、帰りにバーでお酒を少し飲んで、帰宅したらきれいな部屋で静かに本を読む、みたいなイメージだった。

 

それが何故であろうか。今は、こんなにも辛くあがいている。

美味しいコーヒーが飲みたい。近場のコンビニで淹れてくれるちょっと高いやつがいい、と思いながらも「ここで200円程度の出費を抑えれば……」などと雑念が入る。

 

美味しいコーヒーが飲みたい。

もうずっと言ってる気がする。

 

話は変わるが、おいしいコーヒーを飲む余裕の大人に胸躍らせていた少女が社内ニートになっている間に、自由に生きることを提唱している少年がいるという。

東西探せば、数多の人間がいるものだ。

 

【目次】

 

少年革命家となのる子供

mainichi.jp

 

こんなニュースが目に入った。

読んでいない人のために要約すると

 

  • 自由を求め学校に通わない選択をしている少年がYouTuberをしている
  • いじめや 不登校に悩む子や親に「不登校は不幸じゃない」というメッセージを訴えている

 

というものだ。

 

少年は10歳とのことだが、果たして10歳の時、私は何をしていただろうか。思い返せば、電撃文庫から出ていた「猫の地球儀」を読んだことがきっかけでライトノベルを読み漁っていたような気がする。

社内ニートになる運命にあった少女がライトノベルを読み漁っていたのだから、この少年の将来は計り知れないのかもしれない。

 

しかし、彼の行動や理念に疑問を抱くのも確かだ。

その違和感は見落としてはいけない世の理なのではないか。

 

果たされない義務、主張する権利

私が彼の行動に大きく違和感を持ったのは、彼が不登校になった経緯である。

曰く

 

ゆたぼんが学校に通わなくなったのは小学校3年生の時。宿題を拒否したところ、放課後や休み時間にさせられ不満を抱いた。担任の言うことを聞く同級生もロボットに見え「俺までロボットになってしまう」と、学校に通わないことを決意した。

 

とのことだ。

要するに「宿題嫌だ!それを強要する社会も嫌だ!家でYouTubeする!」ということだろう。

 

このニュースを見て思い出したのが新卒フリーランスである。

新入社員として社会経験を得ずにフリーランスへと転向し、その名の通り自由を謳歌する存在こそ新卒フリーランスであるが、少年の行動原理といささか似ているのではないかと思う。

 

要するに嫌なことから目を背けて、義務を果たさず、権利だけ主張し、周囲から差しのべられた意見を突っぱね「自分は自由だ!」と声高に叫ぶ

果たしてそれが自由であるのか、暴挙であるのか。いったい、だれに判断がつこう。

 

実績のない人間に誰も興味はわかない

まあ、ぶっちゃけていうならば彼の場合、彼の親が子供を媒体に自分の履歴を正当化していることに他ならないような気がするが、それでも違和感は確かだ。

 

言えることはただ一つ。権利を主張するなら義務は果たせ。実績のない人間など誰も興味はないということだ。

 

人間はインプット以上のアウトプットを行おうとすれば、もはやそれは虚言である。虚言は長く持たないのだ。

自分の人生を大事にするなら、義務は果たすべきであると人生の先輩は、そう思う。

 

とはいえ、世の中、アウトプットした者勝ちであることは確かだ。受信オンリーより、発信できるほうがはるかに強い。その原動力をYouTubeや講演にぶつける、彼の今後に少し注目してみたい。

 

まあ、学校成績が常に上位3割ほどで、テストもすべて70点台であり「70点の女」と呼ばれた私が社内ニートになっていることを考慮すれば、世の中何がおこってもおかしくないのだ。

せいぜい、自分の人生、やりたいことを好きなだけやって終えたいものである。