私は雑兵

社内ニートが自律神経と戦っています。

【仕事】同情するなら金を、仕事をしても金をくれ、仕事は温情で回している

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一年間ほど、何も考えずにプロジェクトに在籍し、幽霊部員のようにそこに存在するだけを貫いた結果、私が弊社で最も当プロジェクトに関わっている人間になった。

もちろん、関わっているかどうかの尺度は深さではなく広さである。要するに私が最も長く在席しているのだ。私より先に在籍していた女性派遣社員は夫婦関係のあれこれで、ある日忽然と姿を消した。その後もなんだかんだ問題が生じる度に顔を出すだけ出し、都度資料を確認してなんとなく「私、このプロジェクトで仕事してますよ」感を出しながら時給をむさぼってきた。

 

結果、この度プロジェクトリーダ的存在に抜擢された。

 

このブログに散々「仕事は効率化!」だの「力でごり押しする仕事はもう古い!」だの記載してきたが、結局のところ私を仕事へ突き動かすのは金と温情である。

どこかへ行ってしまった先輩社員の積み上げたものを、無にはできまい。

 

【目次】

 

仕事へのモチベーションは金である

仕事に対するモチベーションは何か、と問われれば、迷わず「金」と答えるであろう。

「雑兵Aさんは頑張ってるね!」とねぎらってもらうより「雑兵Aさんがいないと仕事にならない!」と居場所を確保してもらうより「雑兵Aさん、はい100万円」の方が断然やる気が出るのだ。

 

つまり何が言いたいかというと私の仕事に対するスタンスは金を生み出すための労働程度であり、やれライフワークだの、やれ遣り甲斐などは関係ないのだ。

居場所なんて仕事で作っていただかなくてもプライベートにでっかい懐を持った人が周囲にいるのだから問題ないのである。

 

そうなってくると、仕事というのはやはり能率化に限る。

作業はできるだけ簡略化したいし、作業時間は必要最小限にしたい。ミスが続くようであれば続いている原因を徹底的に叩く。そうすることで労力は最小限に、得られる金額は最大限になるのだ。

 

100の力で働き1000円得るのと、1の力で1000円得るのでは話が違うのだよ。ザクとは違うのだよ、ザクとは。

 

損得と温情

では、私が常に損得を判断し、機械的な決断をしているかというとそうではない。

取り立てて、仕事の依頼などは損得勘定ではなく温情や人のつながりであることの方がおおいのだ。

 

先に記載したプロジェクトでプロジェクトリーダを任された私は絶賛、年度スケジュールを作成中であるが、先ほど、メンバの一人が海外出張に行きたいという旨を話してくれた。

メンバ、とはいうが私よりも業務歴は長い。年齢だって私より上である。こんなちんけな小娘にスケジュールの伺いだてをするなんて!そんなそんな!という感情が頭の中を通り過ぎる。

 

話は逸れたが、どれだけちんけな小娘がプロジェクトリーダを任されているプロジェクトでも人員が抜けるのは痛い。

とくにそのメンバは主力メンバであるゆえに、余計なのだ。
メンバ1人月がいなくなるのは痛い。しかし、それでも私は社内ニートの時間を削ってでもメンバが海外出張へ行けるスケジュールへ変更するのである。

 

温情のその先に

普通に考えれば、損であるように見える。

温情で仕事に動けば、サービス残業待ったなし。あれもこれも仕事を任せられて折角建てた社内ニートの牙城が崩れ去ってしまうのも目に見えている。

 

しかし、私の答えは決まっている。

温情のその先に仕事があるのだ。

 

20代前半のころは「人と人とのつながりを大事にしましょう」なんていい子ちゃんの標語だと思っていた。

このIT社会に人のぬくもりなどなくとも生きていける!と本気で思っていた。

しかし、温情で動いた結果、仕事が生み出されるのもまた事実なのだ。「あぁ、あの人が困るからスケジュールは遅れちゃだめだ」とか「あの人は忘れっぽいからリマインドしておかなきゃな」とか。そういった温情はやがて信頼に変わり、自分という人間の品質へと変わっていく。

 

もちろん、徹底的に温情を排除して仕事をすることも不可能ではない。警察官なんて温情で動くなどもってのほかなのだ。しかし、そうでない仕事も、また数多あるということなのだろう。

 

というか、私の仕事はメンバを海外出張に行けなくすることではなく、メンバが海外出張に行ってもプロジェクトが問題なく進行するよう調整することだ。温情どころか機械的に仕事をしているに過ぎない。

メンバには海外出張でキャリアを積んできてもらい、また夏ごろに自分のプロジェクトで活躍してもらえればと思う。

 

ただ、金が欲しくないのかといわれればそうではない。

派遣社員のくせにプロジェクトリーダなどという責任ある仕事を割り当てられているのだ。せめて手当が欲しい。

これが現実でも言えればそう理想なことはない。同情するなら金をくれ。まさに、この言葉に尽きる。