【その他】『過剰防衛』と『男女平等』
最近、ネット界隈をウロウロしていると『フェミ女』などという言葉を聞く。
これはフェミニズムを略した言葉に、女性を足した造語のようだ。
あるときから女性の地位向上が叫ばれ続け、産休、育休、セクハラ、マタハラなど女性が身を固めるための防具が世の中にあちらこちら散らばるようになった。
先日、Twitterを見ていると『ハラミ会』などという言葉を見かけたが、どうも人間として異性と軋轢を生むのに事欠かない世界になってしまったようである。
しかし、区別と差別の差を理解できない意見も多いようなので、今日はこの場を借りてこのあたりの問題について書いていこうと思う。
ぶっちゃけ、異性だろうがなんだろうが、慎みと礼儀を持って接するのが当たり前なのだが。
【目次】
『ハラミ会』からみるセクハラ
さて、『ハラミ会』という言葉を聞いて、皆さまは何を思い浮かべるであろうか。
「え!?ハラミ!?あのお肉!?おいしいやつ!?」
……以上が私の感想である。
この『ハラミ会』というのは即ち『ハラスメントを未然に防ぐ会』の一部を抜き出して省略した言葉で、以下の漫画から確認できる。
一部しか確認できないが、コメントからするに話の流れとしては
- 女性社員が異動(もしくは入社)してくる
- 男性社員が飲み会の話をしていたため「歓迎会かな?」と勘違いをする
- 『ハラミ会』について説明されて立ち尽くす
- 「でも「セクハラしちゃうから女はお断り」っていうのもセクハラじゃない?」という女性社員の発言に、友人が「まあ問題の解決ってよりは逃避だよね」という発言をする
という話のようだ。
まあ、まず自分を制御できず(セクハラするまで)酒に飲まれる男性陣もどうかと思うが、それと同時に「セクハラしてしまうかもしれないから飲み会に誘わないのもセクハラである」という理論には首をかしげるしかない。
『過剰防衛』と共に対人する人たち
そもそもハラスメントの定義は安定しない。
というのも、相手が不快に思えばハラスメントであり、明確な物差しがあるわけではないからだ。
私が大学生のころ、社会人の男性が同級生の男性に「最近では「髪型変えた?」ですらセクハラになる」という話をしており、それに対して同級生は「じゃあ何を話せばいいんですか!天気しか話せないですよ!」と憤怒していたことがある。
別に、私は異性から「髪型変えた?」と言われてもそれをセクハラだとは思わない。せいぜい「目ざといっすね!」ぐらいなものである。
しかし、それを不快に感じる女性が世の中にいる限り、その言葉はセクハラとして世に蔓延ることになるのだ。
そもそも、ここでいう男性の「髪型変えた?」は女性をいやらしい目で見ているからこそでた言葉ではない。単純に話の切り口だった可能性が高い。
そうやって言葉を投げかけた本質を理解せず、うわべだけを掬い取って、やれ「セクハラだ!」と相手の足をすくう言動を行う人たちには、偏に『過剰防衛』の言葉がお似合いである。
弱い己を守るために理論武装した結果、いらぬ戦争を吹っかけているようにしか見えないのだ。
『男女平等』という違うものを物差しで測る世界
よって、『ハラミ会』を主宰した男性は『過剰防衛からの攻撃』に『防御』をしただけであり、決して非難されるべきではない。
(前述したとおり、酒に飲まれる行為自体は問題ではあるが)
ましてや「セクハラしてしまうかもしれないから飲み会に誘わないのもセクハラである」などと言われてしまえば「じゃあ、男性陣は『ハラミ会』を開催してはいけないというセクハラを受けているのだがそれはいいのか?」という理論が展開されるのもやぶさかではないのである。
痴漢防止のために女性専用車両が用意されているようなもので、女性専用車両については何も言わないのに、『ハラミ会』だけに怒号を浴びせるのはどういう道理なのだろう。
ところで、世の中にはこういう話がある。
男性を嫌悪しているという女性にお坊さんが返答をしている記事だがその中にこういう言葉がある。
かつての「日本男児」ですら、徹底的な男尊女卑の特権を得ることといわば交換に、女性を庇護していたのです。現代のように男女平準化した時代に、何も差し出さずに「ただ勇ましく庇護してほしいよー」と駄々をこねても、そんな人を心から愛し守ろうと思える聖人君子は、この世にいません。
男性と女性をきっちり区別していたからこそ得られた平穏があったのだ。
しかし男女平等の考えでそれら『女性が守られる権利』は無と化した。
それを理解せず「男性と同じ権利を寄越せ!でも女性だけ守れ!」などという都合のいい意見がまかり通るのは、道理が通らない気がするのである。
大切なのは他人の尊厳を維持し、相手と接することである
まあ、ぶっちゃけてしまえば、男性、女性の区別自体が古くなり、現在では「性別ではなく個人で認識する」という意見が一般的だ。
『ハラミ会』がセクハラであるか、という議論の問題点は、偏に『相手(異性、他人)を尊重しない点』に集約される。
たとえば、飲み会が無理でも、お酒を飲まない食事会で歓迎会を開くであるとか、そういった飲み会自体を廃止してしまうとか。やりようはいくらでもあるはずだ。
自分を尊重されず騒ぎ立てるくらいなら、尊重される自分になりなさいということだろう。
歓迎してもらえるだけの地位になればよいし、少々失言しても(ガチのセクハラは駄目だが)許してもらえるだけの信用を獲得すればいいということである。
こうやって女性主義が騒がれているうちは、男女平等などやってきたりはしないのだなあ、と考えたところで今日はお開き。