【仕事】転職と終身雇用制度の崩壊
女子高生から見れば、わたしなんぞ年寄りである。
居酒屋でアルバイトをしていた折に、同じバイトの高校生と話しながら「年を取ったな」と感じたことは1度や2度ではない。
ちなみに、私が1番、ショッキングだったのは
「まじ卍」
という言葉であろう。
どういう意味?と聞いたところ、女子高生がジェスチャー付きで
「こう、やべえ!すげえ!テンあげ(テンションあがる?)みたいな意味っす!」
と答えてくれた。
その回答、まじ卍でテンあげなんですけど。
さて、冒頭の文章とはまったく関係ないが、今日は転職が悪いことであるかについて自分の意見を書いていこうと思う。
まあ、転職回数6回の人間が「転職は悪!」などと叫んだりしないので結論は見えているが。
【目次】
転職はよくないと思う人たちと私
仕事をうつ病で辞めた。
これについて、母は「仕事くらい辞めればいい」と概ね賛成の態度を示した。
しかし、よく思わなかったのが父親と父方の祖母であった。
父は私に「お前はいいな。そう簡単に転職できて」と言った。
別に「お前には能力がある」と言っているのではない。
単純に「長年会社に勤めていない軟弱ものが」みたいな意味合いである。(実際に父親はそうも言った)
また祖母も祖母で、うつ病を治すために派遣社員をやっていた折に「●●ちゃんは正社員なのに~」と私のほうをチラチラ見て言ってくるのだから「この親してこの子ありか……」などと思いにふけってしまった。
何故、転職=悪とされるのか
では、何故、日本中には『転職=悪』という方程式が当たり前のように語り継がれているのか。
個人的には『終身雇用制度』という制度のせいであると考える。
終身雇用制度とは、文字通り「お前が定年になるまで会社は面倒を見ます」という制度であるが、これを裏返すと「定年までその会社に勤められなかった=クビにされた無能人材」という方程式が出来上がる。
そしてここまでできた方程式を組み立てると
転職 = 定年までその会社に勤められなかった = クビにされた無能人材 = 悪
という方程式ができあがるのだ。
神話となった終身雇用制度
しかし、ここで考えてほしいのは時代が変わるという部分である。
今や、いつ自分の会社が倒産してもおかしくない時代。
そんな時代に転職のスキルを磨けていない方が恐ろしいのだ。
さらに政府も「副業を後押しします」という発表までしている。
この裏に隠されている意味は「会社からの給与だけに頼ってないでリスク分散しろ」というものだ。
要するに、終身雇用制度という正社員で働いていればリスクがないという働き方が崩壊したと言えよう。
転職回数が多いと先行きが不安?
とはいえ、民主主義の常識は『大多数』である。
大多数が『転職=悪』の方程式を用いている現在、はたして転職回数が多くても評価してもらえるのだろうか。
答えは簡単。
「転職回数で人材を判断している会社に勤めたいか」という質問に帰結する。
「転職回数が多いやつか~。ってことは無能だな」
と判断している会社があるのであれば、おそらくその会社の価値観は古い。
そのような古い価値観の会社であなたは働きたいだろうか。
いや、別にあなたが「古い価値観の会社でもいいです!」というなら問題はない。
引きとめてすまなかった。
しかし、そのような会社であれば『サービス残業』『休日に接待ゴルフ』『飲み会の強要』などという死語に悩まされることになるだろう。
自分らしく生きることの重要性
そもそも、会社に合わせて生きることに価値観のない時代だ。
時代はずいぶんと変わり、いまや『自分らしく生きることを追及する時代』であると思う。
フリーランスをするもよし。
好きな会社を選ぶもよし。
すべて自己責任と腹をくくって自分らしく生きようとしている時代のうえでは転職回数なんぞ『自分らしく生きようと努力した経歴』でしかない。
このブログで腐るほど言っているが『人生 > 仕事』である。
もうブログのタイトルをこれにしそうな勢いだ。
人生は一度きり。
違和感があるのであれば、一度立ち止まって考えてみるのも一興である。