私は雑兵

社内ニートが自律神経と戦っています。

【うつ病】人生の休暇 「安心して暮らすということ」

この生活を始めるに際して、色々な人からお言葉を頂戴した。

元気になってまた戻ってきてほしいという歓迎の言葉や、ぼーっとするのが一番よさそうです、という治療に対するアドバイスや、ぼーっとするのは難しいからなにか作業でもしてみたら、と先ほどのアドバイスを無に帰す言葉などだ。

中には厳しい意見もあったが、私なりに受け止めている。

そんな中、婚約者は「これで安心して暮らしてもらえるね」と言った。

 

安心して暮らす、という言葉を聞いたとき、あぁ、自分は安心して暮らせてなかったのか、と気がついた。

 

一つ、私の性格の話をしよう。私は目の前のことに真剣になりすぎる傾向がある。仕事や人間関係に良い方向へ働くこともおおいが、逆に自身のことには無関心になりすぎなのだ。いわば「加減できない女」が私であり、故に考えをこじらせて一人で落ち込むことが多々あるのである。

要は手加減が下手くそなので常に全力を出してしまい、ずっとガス欠状態なのだ。

そんな私は生活をしていても全力である。やらなければならない家事をタスクとして頭のデータベースに保管しておき、それを一つずつ消化していく。前日にできなかったタスクは次の日には終わらせたいし、当日やらなければいけないタスクも終わらせたい。結果としてタスクが多すぎてパンクを起こすのだ。

私がそんな性質である以上、私はつねに安心なんぞしていない。鳥は羽安めをするが私は休まない。安心をして眠っているモルモットを眺めて羨ましいとは思うが、自分がそんなに休むことはしてこなかった。なるほど。彼のいう「安心して暮らせる」というのは彼なりに私が抱えているタスクを棚卸しした結果、仕事という大きなタスクをなくし時間的余裕を物理的に作り出す。そしてその空いた時間でゴロゴロしてほしい、という意味だったのかもしれない。

まあ、現在もその予定を裏切って、ブログを書いているのだけれども。

 

うつ病になった人に「休みなさい」ということは簡単だ。大抵の人は「ゆっくり休んでね」と声をかけてくれる。それが悪いとは思わないし、ありがたいとも思う一方で思考力の低下している状態では休み方がわからない。

安心して暮らしてほしいというのは、タスクを遅らせても大丈夫という保証がついてきてくれることであり、ゴロゴロしていても誰も責めないよ、という安全を宣言してくれたようなものなのだ。少なくとも私は今回、そう受け取った。

そうだな。死ぬこと以外はかすり傷ともいう。まずはゆっくり休むようにしようかと思う。