【仕事】効率よく働くことはいけないことなのか
社会人になって働いていると「え?めっちゃ非効率じゃん、その仕事」みたいな仕事に出会う。
例えばシステム上で管理されているタスクをExcelに転記しはじめたり、スケジュールをシステムではなくExcelで管理したり、印刷物をExcelで作って「印刷がずれる」とぼやいたり……
あれ?全部Excelじゃね?
さて、今日は仕事と効率の話。
効率よく仕事をしたのに怒られる世の中ってどうなの?という内容である。
【目次】
- 楽して仕事を達成する = 怠け者 とされる社会
- 楽して仕事を達成する = 成果を効率的に得られる者 ではないか
- 後輩が悩んでいるところ = 過去に自分が悩んで解決したところ
- 仕事の効率化は社内ニートの要因にもなりえる?
- 効率よく成果を達成することは悪いことではない
楽して仕事を達成する = 怠け者 とされる社会
当方、できれば楽して稼ぎたい所存である。
与えられた仕事は効率よくこなしたいし、できれば短時間で終えたいし、もっというなら自動化したい。
このように働かないこと至上主義な私であるが、そうは思っていない人も世の中には多いのが現実である。
例えば、他の人が1時間で終わる作業を私が効率化して半分の時間で終わらせたとする。
すると、承認する上司はなんというだろう。
大抵の場合は「本当にこれでできてるの?えらい早かったけど?」である。
何故このような反応が返ってくるのだろうか。
それは日本という社会が仕事の成果を時間で計測しているからである。
例えばこういう話を耳にしたことはないか。
同じ仕事の質で、一人は毎日定時帰りのAさん。もう一人は残業ばかりしているBさん。
部長はAさんを捕まえてこう言った。
「おいA。Bはあんなに頑張ってるんだぞ?」
ホラー小説かよ!怖いよ!部長の脳内が!!!
という魂の叫びはともかく、日本では作業の成果 = 作業に費やした時間 という方程式が成り立っているのだ。
え?おかしくない?
楽して仕事を達成する = 成果を効率的に得られる者 ではないか
いや、確かに新人が汗水鼻水たらして必死に頑張っているのを見て評価したくなる気持ちはよくわかる。
私だって、自分の後輩がそんな状態だったら応援のためにコーヒーくらいは渡すであろう。
だが、仕事の成果となれば話は別で同じ質なら短時間で仕上げた方が効率的ではないか?
同じ作業を、同じ成果の質で、短い時間でやる。
確かに楽をして仕事を達成する、というと耳触りがよくないかもしれないが、成果を得られるために短時間となるよう効率化した、と言えば評価すべきはこちらではないか?
というか後輩が汗水たらして仕事をしているのを黙ってみてるのはあまりにも非効率だろう。
教えてやれよ、先輩!
後輩が悩んでいるところ = 過去に自分が悩んで解決したところ
よく後輩が悩んでいるのを見て「自分で考えな」とか格好つけて教えない先輩がいる。
確かに、苦労から学ぶことはおおいだろうし、考える力も必要だ。
だが、その会社で新規に入った人材が同じ課題を同じ時間かけて解決したところで会社の成長はゼロだ。
自分が積み上げてきたノウハウを教えて、後輩には早めに自分に追いついてもらう。
追いついた後輩と二人力で仕事を分割しながら、また新しく入ってきた後輩には自分と同じ土俵に立ってもらう。
これを繰り返すことで会社が成長するのであり、会社のために働いているのであれば苦労をさせて考える力を成長させるよりこちらの方が手っ取り早い。
苦労なんぞ自分と同じ土俵に立ってからでも遅くないし、その苦労を解決することで得られる能力もあるはずだ。
この考えも日本社会が 成果 = 費やした時間 で考えている弊害だと思われる。
覚えてろよ、自分で考えろって言っておきながら自分で考えてやった作業をゼロに戻しやがった先輩……(呪詛)
仕事の効率化は社内ニートの要因にもなりえる?
しかし、仕事を効率化することで問題が発生する場合もある。
それが私のような社内ニートに足を踏み入れる可能性だ。
もし自分自身が効率的に仕事を終了させる能力があるのに、仕事の共有が少ない場合は確実に社内ニートになると予想していたほうがよいだろう。
仕事は急に降ってきたりしない。
自分の処理能力が高ければ高いほど、自分に被害かこうむる可能性があることも、念頭に入れておこう。
余談だが、私はただ仕事がないだけで能力があるわけではない。
ただのクズである。
効率よく成果を達成することは悪いことではない
以上より、私が伝えたいのは効率よく成果を達成することは悪いことではないということ。
そして、仕事の質を時間ではかるのは危ないということだ。
仕事をするなら定食屋と同じ。
- 早い
- 安い
- 上手い
これが大事である。
いつか私の作業を鼻で笑いやがった先輩に、この記事が届くと信じて、今日も呪いの言葉としてこの記事をWebへ流すとしよう。