【その他】自信とかいう生きていくうえでの最強装備
自分が自信をもって相手に誇れる才能といえば、世の中の糞にまっすぐ「糞」と罵倒できることくらいである。
この才能が発揮できる仕事が、世の中に存在しないのは悔しい。
さて、今日は自信の話である。
上述した才能以外、私には特に才能がない。
欲しいなぁ、才能。
【目次】
自信を持ち合わせている人との遭遇
今の職場に配属された際、歓迎会を開いてもらった。
歓迎会ではもちろん、新しく配属された人からの挨拶があり、私も人々の前に立たされた。
特になんのとりえもない。
強いてあげるとすれば関東地方でシステムエンジニアをしていたことくらい?
あと、バイクの免許を持っていて、キャンプが好きです。
みたいな内容を話し、失笑だか温かい笑みだかをもらってその場をしのいだ。
私の次に立ったのは初老の男性だった。
男性は、自分はコンサルティング業をやる傍ら、様々な場所を練り歩いていること。趣味はバンドで、今度コンサートをやること。自分もキャンプが好きなこと。
文字に起こせばつまらない内容化もしれない。しかし、彼の話は私の話よりも何倍も楽しかった。
この差はなんだろう。そう考えて気付いたのが"自信の有無"だった。
自信がなければ前に進むことができない
私には自信がない。
年の近い姉の成績がよかったせいで駄目な妹程度にしか認識されていなかったし、自分でもそう思っていた。
何をしても70%くらいの点数がとれた。けれどそれだけ。100%以上の力を発揮する人には敵わない。
褒められることもなく、ただぼんやりと「自分はあの人よりここが劣っている」という箇所を集めては自分の体にその欠片を貼り付けていった。
劣等感。これが、貼り付けた欠片の正体である。
自信がなければ死ぬわけではない。
しかし、自信は大きな財産だ。
自信があれば足を踏み出す勇気になる。
人は何かをはじめるとき、過去にあった実績をガソリンに一歩踏み出す。
自信がない人間にはそれができないのだ。
一歩踏み出そうかな?と思っても、過去に感じた劣等感が邪魔をする。
足を踏み出せないで躊躇しているとスタートが遅れて、先に踏み出していた人の方が早く上達する。
スタートダッシュに失敗したことを、また欠片として体に張り付けながら、自信をまた喪失していくのだ。
負の無限ループって怖くね?
自信をつけるにはどうすればいいか
思えば、自信がある人はすごい。
他人が言った「それ、すごいね!」という言葉にきちんと耳を傾け、貯蓄してきたということがすごい。
他人の言ってくれた言葉を素直に聞き入れ、貯蓄できるのは一種の才能ではないだろうか。
私なんて言われてもいない「劣っている」を集めては、ただ自分の歩みを邪魔してきただけだというのに。
自信をつけるにはどうすればいいか。
今一度、自分を見つめて強みを見出すしかない。
ふっと、今日はそんなことを思った。
そういう話。